薔薇の妄想族2008/05/15 23:42

家から駅まで約800mですが、
戸建が多い住宅街を歩くので、
庭の手入れをしている方がとても多い。
多少なりとも庭の様なモノがある我が家、
色と薫りの極楽に触発されるのですが、
まだまだ歴史には勝てないわけです。
するりと伸びたツルの元を目で追えば、
樹齢20年と思わしき薔薇の幹にぶつかり、
「おみそれいたしやした」と頭を垂れる。
この時期は、花に加えて雨で濡れた木々などは、
若々しい緑が生意気なくらいである。
まだ花のないイケメンという風情だろうか。

毎月締め切りがある記事やコラム。
溜めたくは無いのですが、
気付くと1週間なんてあっと言う前に過ぎて、
地道に行なえば重ならないはずのリミットが、
気付くと幾重にも重なり合って、それはそれは美しい。
しかし、自虐的に鑑賞している場合ではなく、
もうダメ!という瀕死の状態から這い出すのに数日間。
戦場と化した脳内で、刃を合わせる音を聞きながら、
敵味方無く焚きつけて、孤軍奮闘するのである。

こういう時は、単なる俄か仕立ての駄文文筆家でも、
言葉と文章に脳がピリピリしているので、
譜面を見ながら妄想に小鼻を膨らます指揮者仕事は、
なかなか違う絵が見えて来て面白いものなのです。
これを人は「妄想」と言うのでしょうが、
オケ譜から、白と黒の音符達が立ち上がって、
しかも下手なフラダンスを踊っている様に見え、
全休符の布団に潜り込んでいる寡黙な音符を見つけては、
足を持って引きずり出し、説得を試みながら、
そこに寝入る意味を問いただしてみたりするのである。
こうなると、単なる想像の獣の粋を超えて、
とんでもなく劣悪なメロディーの連続を見ても、
その中に、浮遊する美しい妖精の姿を追ったり、
小さな泉の様な交響曲の第2楽章のテーマが、
誇大妄想の流れに乗り、
吹き荒ぶ大嵐の大河に流れ込む姿に、涙するのである。

あぁ、妄想族は停まれない。
信号無視も脳内暴走もし放題である。

締め切りに追われ、午前3時が過ぎれば、
いろいろな現象が豪雨の様に天から降り注ぐので、
思考をするのは夜中に限るのです。
写真は、近所の家の庭先、美しい薔薇。
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