公演日1 ― 2006/08/03 12:11

毎日毎日公演があるフェスティバル。
コンサートならば、問題なんて無く仕込み撤収、
しかしオペラとなると、喜歌劇とてそう簡単にはいかない。
午前9時仕込み開始。
世界中そうであるが、使ったものは戻すのである。
前の日と次の日がどんなに舞台演出が似ていても、
元通りに戻すのが劇場のお約束である。
まっさらな舞台は、その日の公演に染め上げる前の、
綿糸のようなものか、その日の灯りも無論なく、
あるのは、劇場に立ち込める歴史の匂いのみ。
公演の結末、12時間後が、
賞賛か否かも予測させない状態、
まさにニュートラルから始まるのである。
荷物の搬入から始まり、各セクションに散っていく。
衣裳さんは、衣裳部屋で、全ての衣裳を広げ、
ヘア&メイクは化粧前を確認し、
光の差し込む角度を気にしながら位置取り。
道具方は舞台で必要なものを舞台に運び、
小道具は、丁寧に梱包を解きながら、
指紋ひとつ無く磨き上げられて並べられる。
八百屋舞台
といって、舞台奥から前面に傾斜がある舞台。
日本では滅多に無いが、ヨーロッパでは、
シェイクスピア時代から当然の習慣。
フラットな客席の立ち見観劇へのサービスか、
舞台の奥行きの見せ方のアイデアか。
ギリシャ時代の円形舞台、オルケストラの進化とすれば、
後者が正しいのかも知れません。
こんな習慣の違いもプロの舞台人はすぐ対応しますが、
傘の置き方ひとつで転がってしまいますので、
大切な対処のひつつなのです。
手引き綱場
近代化、自動化が進んだ今は、
ボタンひとつで、緞帳もバトンも操作しますが、
昔の劇場や狭い劇場では、
今も手で綱引いて、全ての上げ下げを行ないます。
錘を吊ってバランスをとり、手加減一つで、
ドラマに同調したり、転換したり、裏方の見せ場です。
幕の最後、音の延ばしを切るタイミングは、
指揮者にとって気使いですが、
手引きなら、裏方の気が感じられるので、
ストレスなく、心ひとつでピタリと合います。
午前中、仕込みに関係のない私は、
劇場を隅から隅まで見てみました。
この劇場、約100年の歴史ですが、
外面から実に良く出来ている。
単純な煉瓦の積み上げで建築が許される事は、
耐震構造に対して厳しい日本ではありえませんが、
一見無造作な外壁、木材、鉄、と言ったものも、
自然界からの贈り物による建材は、強くて優しくて、
「文化芸術は第一次産業」と持論を展開する
私の考えにもピッタリ。
人間が感じる心、魂に繋がっているのか?
ハード面の大切な要素なのです。
1000席のコンパクトな作りですが、
東京の劇場の敷地面積では、
500人しか入れられないかも知れません。
馬蹄形で、3階までしっかり詰め込み、
さらに天上桟敷の席は3人掛けのベンチです。
この一番上に座ると、天上が迫り、
ホコリの匂いを感じながら、観劇できる絶好ビューです。
詳しく知らなかったのですが、建築したのは、
英国でもとても有名な方らしく、
なるほど、と唸りましたし、日本もこういう健物を
参考にしてもらいたいと言う秀逸さです。
客席から舞台なんて、1枚の扉のみ。
簡単な作りですが、舞台袖も必要にして十分な作り。
上手袖の階段上に大きな搬入用の扉で、
常に灯りが漏れるのは、御愛嬌。
さらに、道路向こうの教会の鐘は、定時を告げ、
演出かと聞きまがうほどの効果ですが、
公演中は鳴らさないように配慮しているのでしょう。
舞台裏、楽屋周りも、1000人の劇場に相応しい楽屋数。
3階まであり、主要人物が座る1階から、
大部屋の3階まで、問題は一つもなく、
広くはないが、狭いと文句もなく十分。
木と鉄、鏡には目に優しい明かりが反射します。
夜が10時頃まで明るい英国の夏を体験すると、
シェイクスピア時代、
夜公演でも明るかったのが良くわかります。
400年前は劇場に屋根が無かったのですから、
そう考えると、どんな演劇に熱狂したか、
演出の技法から、台本の書き方まで、
なるほど、なるほどと、またまた唸ります。
舞台上の綱場の天上まで昇ってみました。
私といえども、多分立ち入り禁止です。
木だけで組まれた骨組みは、美しくうっとりします。
整然と並んだ木枠、真っ直ぐ垂れる綱、
手垢が滲みこんだ変色部分は、
手に汗握る難関を幾度も乗り越えた
職人達のプライドでしょうか。
眼下10m、仕込み修羅場の喧騒も心地よく、
転落防止柵の艶光りした部分に両の手を置き、
しばし劇場の神に成功を祈りました。
私は応援ツァーの皆様にレクチャーをしなくてはならず、
劇場と皆さんの宿泊ホテルを行き来します。
レクチャーったって、私が一番若造。
しかも、ツワモノ揃い(失礼)のお客様に、
何の話をすればよいやら・・と思いましたが、
より楽しんでいただけるよう、
喜歌劇ミカドのお話を小一時間。
天気は、雨、時々晴れ(曇りというより・・・)
これ、英国では、レインでなく、シャワーというらしい。
ザーザー、ジャブジャブは雨、
シトシト、ポツポツやサーサー等の、時々ってヤツが、
雨に換算されないのは、
習慣的に、雨当たり前の英国発想ですかね。
・・・長くなりました。
公演日はまだお昼前。
コンサートならば、問題なんて無く仕込み撤収、
しかしオペラとなると、喜歌劇とてそう簡単にはいかない。
午前9時仕込み開始。
世界中そうであるが、使ったものは戻すのである。
前の日と次の日がどんなに舞台演出が似ていても、
元通りに戻すのが劇場のお約束である。
まっさらな舞台は、その日の公演に染め上げる前の、
綿糸のようなものか、その日の灯りも無論なく、
あるのは、劇場に立ち込める歴史の匂いのみ。
公演の結末、12時間後が、
賞賛か否かも予測させない状態、
まさにニュートラルから始まるのである。
荷物の搬入から始まり、各セクションに散っていく。
衣裳さんは、衣裳部屋で、全ての衣裳を広げ、
ヘア&メイクは化粧前を確認し、
光の差し込む角度を気にしながら位置取り。
道具方は舞台で必要なものを舞台に運び、
小道具は、丁寧に梱包を解きながら、
指紋ひとつ無く磨き上げられて並べられる。
八百屋舞台
といって、舞台奥から前面に傾斜がある舞台。
日本では滅多に無いが、ヨーロッパでは、
シェイクスピア時代から当然の習慣。
フラットな客席の立ち見観劇へのサービスか、
舞台の奥行きの見せ方のアイデアか。
ギリシャ時代の円形舞台、オルケストラの進化とすれば、
後者が正しいのかも知れません。
こんな習慣の違いもプロの舞台人はすぐ対応しますが、
傘の置き方ひとつで転がってしまいますので、
大切な対処のひつつなのです。
手引き綱場
近代化、自動化が進んだ今は、
ボタンひとつで、緞帳もバトンも操作しますが、
昔の劇場や狭い劇場では、
今も手で綱引いて、全ての上げ下げを行ないます。
錘を吊ってバランスをとり、手加減一つで、
ドラマに同調したり、転換したり、裏方の見せ場です。
幕の最後、音の延ばしを切るタイミングは、
指揮者にとって気使いですが、
手引きなら、裏方の気が感じられるので、
ストレスなく、心ひとつでピタリと合います。
午前中、仕込みに関係のない私は、
劇場を隅から隅まで見てみました。
この劇場、約100年の歴史ですが、
外面から実に良く出来ている。
単純な煉瓦の積み上げで建築が許される事は、
耐震構造に対して厳しい日本ではありえませんが、
一見無造作な外壁、木材、鉄、と言ったものも、
自然界からの贈り物による建材は、強くて優しくて、
「文化芸術は第一次産業」と持論を展開する
私の考えにもピッタリ。
人間が感じる心、魂に繋がっているのか?
ハード面の大切な要素なのです。
1000席のコンパクトな作りですが、
東京の劇場の敷地面積では、
500人しか入れられないかも知れません。
馬蹄形で、3階までしっかり詰め込み、
さらに天上桟敷の席は3人掛けのベンチです。
この一番上に座ると、天上が迫り、
ホコリの匂いを感じながら、観劇できる絶好ビューです。
詳しく知らなかったのですが、建築したのは、
英国でもとても有名な方らしく、
なるほど、と唸りましたし、日本もこういう健物を
参考にしてもらいたいと言う秀逸さです。
客席から舞台なんて、1枚の扉のみ。
簡単な作りですが、舞台袖も必要にして十分な作り。
上手袖の階段上に大きな搬入用の扉で、
常に灯りが漏れるのは、御愛嬌。
さらに、道路向こうの教会の鐘は、定時を告げ、
演出かと聞きまがうほどの効果ですが、
公演中は鳴らさないように配慮しているのでしょう。
舞台裏、楽屋周りも、1000人の劇場に相応しい楽屋数。
3階まであり、主要人物が座る1階から、
大部屋の3階まで、問題は一つもなく、
広くはないが、狭いと文句もなく十分。
木と鉄、鏡には目に優しい明かりが反射します。
夜が10時頃まで明るい英国の夏を体験すると、
シェイクスピア時代、
夜公演でも明るかったのが良くわかります。
400年前は劇場に屋根が無かったのですから、
そう考えると、どんな演劇に熱狂したか、
演出の技法から、台本の書き方まで、
なるほど、なるほどと、またまた唸ります。
舞台上の綱場の天上まで昇ってみました。
私といえども、多分立ち入り禁止です。
木だけで組まれた骨組みは、美しくうっとりします。
整然と並んだ木枠、真っ直ぐ垂れる綱、
手垢が滲みこんだ変色部分は、
手に汗握る難関を幾度も乗り越えた
職人達のプライドでしょうか。
眼下10m、仕込み修羅場の喧騒も心地よく、
転落防止柵の艶光りした部分に両の手を置き、
しばし劇場の神に成功を祈りました。
私は応援ツァーの皆様にレクチャーをしなくてはならず、
劇場と皆さんの宿泊ホテルを行き来します。
レクチャーったって、私が一番若造。
しかも、ツワモノ揃い(失礼)のお客様に、
何の話をすればよいやら・・と思いましたが、
より楽しんでいただけるよう、
喜歌劇ミカドのお話を小一時間。
天気は、雨、時々晴れ(曇りというより・・・)
これ、英国では、レインでなく、シャワーというらしい。
ザーザー、ジャブジャブは雨、
シトシト、ポツポツやサーサー等の、時々ってヤツが、
雨に換算されないのは、
習慣的に、雨当たり前の英国発想ですかね。
・・・長くなりました。
公演日はまだお昼前。
公演日2 ― 2006/08/03 12:15

劇場の昼休みの時間は、きっかり1時間。
毎日様々な団体が来ては上演を続けるが、
上演の4倍もの時間を必要とする、
朝の仕込から夜のバラシに対応するために、
舞台方スタッフは時間に正確だ。
29日の夜遅く、実はある話し合いがあった。
我々が着いてからも様々な問題があったが、
取り立てて大した事もなく解決した。
バクストンの生活は、すぐに慣れたのだが、
イギリス人の大らかさ、、、というか、
いい加減さ、、、というと語弊があるので、
細かな日本人との感覚の差、
というのだろうか、
スローライフ過ぎる人たちに、
合理性を追求せざるを得ない、
我々の要求は厳しすぎるのかも知れないが、
稽古に関しては、大問題が頻発していた。
そんな問題を解決すべく、
フェスティバル初日公演後で、
主催者が浮かれている中、イアンとニール、
総監督と息子の首脳陣と、
額を付きあわせてこちらの希望と苦悩を申した。
そんな適当に流れていく時間を心配したのは、
なんといっても仕込み時間の無さで、
こちらは、大変な努力でココまで辿り着き、
その1分1秒を無駄にしないため、
申し入れをしたのである。
そのお陰かどうか、
劇場のタイムスケジュールは、1分違わず進んだ。
そして、昼休みはキッチリ1時間なのである。
14:30~まさに、戦争開始である。
我々のミカド、上演時間は2時間45分。
トラブルが出れば、契約の17:30を過ぎ、
リハーサルはその場で中止である。
これには気を使ったのだが、
朝からの遅れで、照明の作業もギリギリ、
サンプラーの音響チェックが出来ていない。
あわてて繋ぎ、サウンドチェックして、
舞台とピットがお互いを紹介し合いチューニング!
昨夜も、このオケは「ペンザンスの海賊」を演奏して、
今夜は「ミカド」。
14:30から通し稽古で、2時間休んでも、
19:30~また本番では、そりゃ疲れます。
東京では4日はかけて、オケリハと歌合わせ、
そしてゲネプロですから、これらのことを、
3時間でやらなくてはいけないわけである。
案の定、行き方(譜面の演奏の寸法)は、間違う、
テンポは不安定、譜面は見落とす、
曲順は理解していない・・・
と、並べ立てると最悪に思えるが、
私には心配なんて微塵も無かった。
彼らと会った時、音聴いたときに、
「ほう、できるじゃん」と、思ったのだ。
これは指揮者の直感ではあるが、
毎日日替わりプロで演奏している彼らの、
疲労や、集中度、
また本番に標準を合わせてくる力は、
3日前の公演を観て安心していた。
オペレッタや、喜歌劇、どれもそうであるが、
オリジナル通りに演奏する団体なんて滅多に無い。
切ったり貼ったり、飛ばしたり戻したり、
自由自在なのである。
でも、我々は非常にスタンダード。
サリヴァンの音楽を失礼の無い範囲でしか、
動かしてはいない。
このサリヴァンに関しては、
また改めて書きたいが、
いずれにせよ、オケはナーバスになる必要はない。
2幕の方が短いのだが、
時計が17:20を回ってからは、
ちょっとメンバーも時計を見だしたので、
「すぐ終わるから・・・」
と、慰めて最後まで行き、1分オーバーで、
リハーサル終了。
ロンブロになっていますが、
続けましょう。
2時間の休憩。
私は、さっと劇場出て、一度寮に戻りました。
用事は無いのですが、気分転換。
小雨ですが、濡れても気持ちよい空気、
1時間で戻ってきて、公演準備。
そう、大入り袋を配りました。
満席もいいところで、入りきれないお客が沢山。
その日の朝、イアン、ニール親子に会うと、
「入り切れないから、隣のホールで、
生中継をとく大スクリーンでやる!」って、
「おい!ワールドカップかよ!」と、
すかさず突っ込み、冗談かと思ったら、
夜にはにスクリーン貼っていた・・・
公演のハナシ。
上手くいきました、全てが。
スタッフの力、もちろんですし、
歌手の皆さんの達者振りがすばらしかった。
英語の台詞に取り組み、
A井教授の厳しい指導に泣きながら、
「これで絶対に笑われるのですね・・・!?」
と、オペラか、コントかわからないのだが、
覚えた甲斐もあり、会場はとにかく沸きます。
何度も拍手で、台詞ストップ、
歌?もちろん拍手拍手。
サリバンの真髄を日本語で表現することが
なんとも大切なことで、
これは、世界に胸張れる実力でしょうね。
私は、楽しくやっていましたが、
オケの80%の人は舞台観られないので、
あまりニヤニヤするわけにもいかず、
笑いを堪えているという、気遣い。
テンポ、バランスもきっちり。
聴かせどころ、引きどころも熟知しています。
微妙に揺らしたいアリア、
日本語の情緒を表現したい部分にも、
きっちり付いて来てくれます。
「ほら、心配しないで、って言ったでしょみんな」
感動のフィナーレが終わり、感無量。
オケの皆に心から感謝をして、
こちらも拍手を受けます。
こんなピットの中の出来事がとても嬉しいのです。
それぞれにカーテンコールがあり、
ヤムヤムが迎えに来てくれました。
山のような拍手で、
スタンディングオベーションです。
演出の暁子先生も和服で登場、
皆で胸張って何度も挨拶です。
緞帳下りて、出演者みな笑顔。
「おめでとう、お疲れ様!」
言葉かけあい、祝福し合い、全ての疲れは、
汗と共に落ちていきました。
楽屋を出ると、涼しい風。
何だか全員痩せています。
笑顔だが、疲労で干乾びました。
終わった、終わった!と思った瞬間、
私の中では、また次が始まりました。
余談で終わりますが、
劇場横では、毎日終わった客が一杯やり、
出演者は特設ステージで、
楽しんで歌い踊り、また盛り上がる。
通称「キャバレー」があるのです。
まぁ、なんとも陽気なフェスティバルです。
飛び入りで薗田さんの歌ったアイルランド民謡、
<サリー・ガーデン>が、耳に心地よく響きます。
総監督イアン・スミス氏は、
「過去12年200以上の公演で最高の公演だった!」
と、お世辞にも嬉しいことを言ってくれたので、
「それが、日本人でいいのかい?」
なんて皮肉は言わず、
深々とお礼して一日を終わりました。
毎日様々な団体が来ては上演を続けるが、
上演の4倍もの時間を必要とする、
朝の仕込から夜のバラシに対応するために、
舞台方スタッフは時間に正確だ。
29日の夜遅く、実はある話し合いがあった。
我々が着いてからも様々な問題があったが、
取り立てて大した事もなく解決した。
バクストンの生活は、すぐに慣れたのだが、
イギリス人の大らかさ、、、というか、
いい加減さ、、、というと語弊があるので、
細かな日本人との感覚の差、
というのだろうか、
スローライフ過ぎる人たちに、
合理性を追求せざるを得ない、
我々の要求は厳しすぎるのかも知れないが、
稽古に関しては、大問題が頻発していた。
そんな問題を解決すべく、
フェスティバル初日公演後で、
主催者が浮かれている中、イアンとニール、
総監督と息子の首脳陣と、
額を付きあわせてこちらの希望と苦悩を申した。
そんな適当に流れていく時間を心配したのは、
なんといっても仕込み時間の無さで、
こちらは、大変な努力でココまで辿り着き、
その1分1秒を無駄にしないため、
申し入れをしたのである。
そのお陰かどうか、
劇場のタイムスケジュールは、1分違わず進んだ。
そして、昼休みはキッチリ1時間なのである。
14:30~まさに、戦争開始である。
我々のミカド、上演時間は2時間45分。
トラブルが出れば、契約の17:30を過ぎ、
リハーサルはその場で中止である。
これには気を使ったのだが、
朝からの遅れで、照明の作業もギリギリ、
サンプラーの音響チェックが出来ていない。
あわてて繋ぎ、サウンドチェックして、
舞台とピットがお互いを紹介し合いチューニング!
昨夜も、このオケは「ペンザンスの海賊」を演奏して、
今夜は「ミカド」。
14:30から通し稽古で、2時間休んでも、
19:30~また本番では、そりゃ疲れます。
東京では4日はかけて、オケリハと歌合わせ、
そしてゲネプロですから、これらのことを、
3時間でやらなくてはいけないわけである。
案の定、行き方(譜面の演奏の寸法)は、間違う、
テンポは不安定、譜面は見落とす、
曲順は理解していない・・・
と、並べ立てると最悪に思えるが、
私には心配なんて微塵も無かった。
彼らと会った時、音聴いたときに、
「ほう、できるじゃん」と、思ったのだ。
これは指揮者の直感ではあるが、
毎日日替わりプロで演奏している彼らの、
疲労や、集中度、
また本番に標準を合わせてくる力は、
3日前の公演を観て安心していた。
オペレッタや、喜歌劇、どれもそうであるが、
オリジナル通りに演奏する団体なんて滅多に無い。
切ったり貼ったり、飛ばしたり戻したり、
自由自在なのである。
でも、我々は非常にスタンダード。
サリヴァンの音楽を失礼の無い範囲でしか、
動かしてはいない。
このサリヴァンに関しては、
また改めて書きたいが、
いずれにせよ、オケはナーバスになる必要はない。
2幕の方が短いのだが、
時計が17:20を回ってからは、
ちょっとメンバーも時計を見だしたので、
「すぐ終わるから・・・」
と、慰めて最後まで行き、1分オーバーで、
リハーサル終了。
ロンブロになっていますが、
続けましょう。
2時間の休憩。
私は、さっと劇場出て、一度寮に戻りました。
用事は無いのですが、気分転換。
小雨ですが、濡れても気持ちよい空気、
1時間で戻ってきて、公演準備。
そう、大入り袋を配りました。
満席もいいところで、入りきれないお客が沢山。
その日の朝、イアン、ニール親子に会うと、
「入り切れないから、隣のホールで、
生中継をとく大スクリーンでやる!」って、
「おい!ワールドカップかよ!」と、
すかさず突っ込み、冗談かと思ったら、
夜にはにスクリーン貼っていた・・・
公演のハナシ。
上手くいきました、全てが。
スタッフの力、もちろんですし、
歌手の皆さんの達者振りがすばらしかった。
英語の台詞に取り組み、
A井教授の厳しい指導に泣きながら、
「これで絶対に笑われるのですね・・・!?」
と、オペラか、コントかわからないのだが、
覚えた甲斐もあり、会場はとにかく沸きます。
何度も拍手で、台詞ストップ、
歌?もちろん拍手拍手。
サリバンの真髄を日本語で表現することが
なんとも大切なことで、
これは、世界に胸張れる実力でしょうね。
私は、楽しくやっていましたが、
オケの80%の人は舞台観られないので、
あまりニヤニヤするわけにもいかず、
笑いを堪えているという、気遣い。
テンポ、バランスもきっちり。
聴かせどころ、引きどころも熟知しています。
微妙に揺らしたいアリア、
日本語の情緒を表現したい部分にも、
きっちり付いて来てくれます。
「ほら、心配しないで、って言ったでしょみんな」
感動のフィナーレが終わり、感無量。
オケの皆に心から感謝をして、
こちらも拍手を受けます。
こんなピットの中の出来事がとても嬉しいのです。
それぞれにカーテンコールがあり、
ヤムヤムが迎えに来てくれました。
山のような拍手で、
スタンディングオベーションです。
演出の暁子先生も和服で登場、
皆で胸張って何度も挨拶です。
緞帳下りて、出演者みな笑顔。
「おめでとう、お疲れ様!」
言葉かけあい、祝福し合い、全ての疲れは、
汗と共に落ちていきました。
楽屋を出ると、涼しい風。
何だか全員痩せています。
笑顔だが、疲労で干乾びました。
終わった、終わった!と思った瞬間、
私の中では、また次が始まりました。
余談で終わりますが、
劇場横では、毎日終わった客が一杯やり、
出演者は特設ステージで、
楽しんで歌い踊り、また盛り上がる。
通称「キャバレー」があるのです。
まぁ、なんとも陽気なフェスティバルです。
飛び入りで薗田さんの歌ったアイルランド民謡、
<サリー・ガーデン>が、耳に心地よく響きます。
総監督イアン・スミス氏は、
「過去12年200以上の公演で最高の公演だった!」
と、お世辞にも嬉しいことを言ってくれたので、
「それが、日本人でいいのかい?」
なんて皮肉は言わず、
深々とお礼して一日を終わりました。
最近のコメント