銀色の三味線 ― 2020/06/30 17:55
「それがB29で造った、
デュラルミンの三味線ですか。成程ね。」
この一節は、秦豊彦がペンネーム丸木砂土の名前で書いた
昭和23年発刊のエッセイ「銀色の三味線」の一行であるが、
何気なく読んでいて
「ほう!」っと膝を打ち感激したのです。
『ジュラルミン製の三味線があるのか!』
どんなにこの素材が好きな私でも
三味線にする発想は無かったのである・・・。
ジュラルミンはアルミ合金ですが、
愛好するドイツの鞄ブランド<RIMOWA>のメイン素材も、
戦後にユンカース(第二次世界大戦で活躍した
ドイツ軍の戦闘機)のボディー使用のジュラルミンに
ヒントを得て鞄の素材として売り出したものである。
そのデュラルミン製「銀色の三味線」という楽器の面白さに
咄嗟に感激したのである。
然しながら、その間隙はあまりにも浅はかな喜びであった。
銀色の三味線を爪弾くのは
、都都逸を歌う富士松時寿郎であるが、その都都逸が、
“アナタハンから戻ったあなた、
もはやアナタハンへは帰しゃせぬ”
なんと艶っぽい粋な都都逸だ~と思ったものだ。
だが、エッセイのこの章を読み進めていくうちに、
そもそも「アナタハン」というのは島の名前で、
戦後この島に取り残された男性30人余りと
1人の女性の6年間が帰還後にニュースになり
事件としても取り扱われたのだった。
ルバング島の小野田寛郎さん、
グアム島の横井庄一さんの話は、
28年29年とあまりに長い時間潜伏した後に
発見された話として
幼少期のニュースで知ってはいるが、
都都逸を歌う方、本名丸山道郎さんと
生還者の6年間の話は
全くもって知らなかった。
少し調べてみると、アナタハン島のドラマは
その後映画にもなっているのですが、
奇怪奇妙な6年間の事件として扱われている事が多く、
ユンカースのジュラルミンで
喜んでいた事が恥ずかしいと思った。
しかし、世の中には、知っているようで
知らない事がまだ五万とあるのですね・・・。
さてさて1年の半分が終わってしまった・・・
コロナ禍でほぼ終わったようなものだが、
後半戦はとにかく舞台ができるように、少しでもまともに
音楽家が生計を立てられる事も含めて、
疫病に負けない人間になることにエールを送り続けよう。
デュラルミンの三味線ですか。成程ね。」
この一節は、秦豊彦がペンネーム丸木砂土の名前で書いた
昭和23年発刊のエッセイ「銀色の三味線」の一行であるが、
何気なく読んでいて
「ほう!」っと膝を打ち感激したのです。
『ジュラルミン製の三味線があるのか!』
どんなにこの素材が好きな私でも
三味線にする発想は無かったのである・・・。
ジュラルミンはアルミ合金ですが、
愛好するドイツの鞄ブランド<RIMOWA>のメイン素材も、
戦後にユンカース(第二次世界大戦で活躍した
ドイツ軍の戦闘機)のボディー使用のジュラルミンに
ヒントを得て鞄の素材として売り出したものである。
そのデュラルミン製「銀色の三味線」という楽器の面白さに
咄嗟に感激したのである。
然しながら、その間隙はあまりにも浅はかな喜びであった。
銀色の三味線を爪弾くのは
、都都逸を歌う富士松時寿郎であるが、その都都逸が、
“アナタハンから戻ったあなた、
もはやアナタハンへは帰しゃせぬ”
なんと艶っぽい粋な都都逸だ~と思ったものだ。
だが、エッセイのこの章を読み進めていくうちに、
そもそも「アナタハン」というのは島の名前で、
戦後この島に取り残された男性30人余りと
1人の女性の6年間が帰還後にニュースになり
事件としても取り扱われたのだった。
ルバング島の小野田寛郎さん、
グアム島の横井庄一さんの話は、
28年29年とあまりに長い時間潜伏した後に
発見された話として
幼少期のニュースで知ってはいるが、
都都逸を歌う方、本名丸山道郎さんと
生還者の6年間の話は
全くもって知らなかった。
少し調べてみると、アナタハン島のドラマは
その後映画にもなっているのですが、
奇怪奇妙な6年間の事件として扱われている事が多く、
ユンカースのジュラルミンで
喜んでいた事が恥ずかしいと思った。
しかし、世の中には、知っているようで
知らない事がまだ五万とあるのですね・・・。
さてさて1年の半分が終わってしまった・・・
コロナ禍でほぼ終わったようなものだが、
後半戦はとにかく舞台ができるように、少しでもまともに
音楽家が生計を立てられる事も含めて、
疫病に負けない人間になることにエールを送り続けよう。
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