フランツ・レハール生誕150年2020/06/27 23:31

このところ、何度フランツ・レハールと
タイトルに書いているか見当が付かないほど
彼のことを認めている気がしますが、
そろそろ終わりになると思います。

ベートーヴェン生誕250年の祝賀ムード一色の今年、
彼にまだ著作権料をもらう権利があったら、
どのくらいの権利料が入るのだろうと思うほど、
何せL.v.B 250の文字が踊りすぎと思います。

いや大好きなL.v.Bですけどね。

ミュージックバード(FM)に収録に行って参りました。
ウィークエンド・スペシャルという特別番組で、
4時間の枠を取ってもらえます。
今年に入ってすぐに収録して頂いた
「三木稔特集」と同じ4時間枠でした。

持ち込み企画という位の勢いでしたが、
レハール生誕150年という節目でありながら、
あまりも影になっていますので、
日の目を見られるように紹介したい気持ちと、
オペレッタ作曲家としてレハールを知っている、
あるいは<メリー・ウィドウ>作曲した人として
彼を知っているだけの方も多いので、
多角的に作品を紹介したかったのです。

この春は自粛生活だったので、
時間が許す限り徹底的にレハールを研究しようと思い、
古くから持っている参考文献、例えばドイツ語の伝記書とか
膨大な譜面の数々、そして聴いてもいない盤もあるCD。
これらをもう一度洗い直して、足らない音、譜面は買って、
頭を整理しながらレハールを徹底的に研究と課題しました。

彼は1870に生まれて1948に亡くなった78歳の生涯ですので
比較的長生きをできた作曲家と思います。
しかし、若き時代は20世期への世紀末、
また2014年から4年間の第一次世界大戦、
そしてオーストリア・ハンガリー二重帝国の崩壊、
そして1933年のヒットラーの台頭から世界大戦・・・
ハンガリーに生まれてウィーンで名声を得て、
その後は世界都市のベルリンで圧倒的支持を受けましたが、
歴史的な出来事に翻弄されながら激動の時代を
同時に生き抜いたことも確かなのです。
正当なクラシック音楽家の道を選んだつもりだったのに、
気がつけば娯楽という大衆の道を歩かされて、
幾らもがいてもオペラの評価は得られないという、
オペレッタ作曲家としての苦悩もたくさんあったでしょう。

収録した番組は1時間分の解説と、
私が選曲した彼の様々な曲を3時間分流してくださるという
なんとも稀有で素晴らしい内容。

可愛くて美しく、そしてメロディーメーカーとしての片鱗を
見せ始めている17歳で作曲したピアノソナタ。
200曲以上残した歌曲は、妖艶なマジャールのメロディー、
民族の土を踏みつけるようなリズムの音楽、
いずれも流れるような彼のメロディーを生かしながら、
どれも耳心地の良い曲ばかりです。
これらの作品はピアニストにも声楽家にも殆ど知られておらず、
弾かれることも、歌われる機会もないままに、
作品は眠っているのです。
実のもったいないと思うものです。

写真も歌曲アルバムの一部ですが、
この出版社もレハール自身が興した自らの作品管理を
目的とした出版社であり、
その後は世界的にも名を馳せる出版社に育っています。

しかしまぁその、、疲れました。
3時間分の資料を揃えて、音楽も揃えながら、
人生をなぞる様に伝記を語り、曲の解説と名盤の紹介、
流石に、終わって「ふ〜〜」っとなりました。
ディレクションをして頂いたW女史に感謝しております。

こういう研究をしてみると、芸術性の高い音楽研究より、
大衆的な時の変化や民衆の想像力や流行への羨望なども
より理解できるものです。
専門の研究者に比べれば足元にも及ばないのでしょうが、
30代の頃に集中的に実演したことを、
まとめることが出来たのでモヤモヤも晴れました。
後生大事に30年しまっておいた着るのか不明の服を、
全部まとめて整理してスッキリした気分というところ。

いやいや、
・・・まだまだフランツ・レハールの名前、出てきそうだな。
もう少し研究するかな。
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