2019元旦2019/01/01 16:41

あけましておめでとうございます。

おかげさまで実家でささやかな食事の会。

昨年は、ある時から平成最後、平成最後と
この年末を特別視したような高揚感もあり、
西暦の2018よりも元号平成が強く叫ばれた
年の瀬でもありました。
たしかに平成最後の年末でしょうが、
30年前この元号に決まった時には、
昭和の呼び慣れから根拠なき
かけ離れた元号の出現に慌てながら、
宇宙を見上げるように平成の未来を
案じたものでした。

元号の良し悪しで
平和も経済も決まるわけではないのですが、
いつの間にか馴染んだ平成30年間の終わりが近く
先の天皇陛下誕生日の際のお言葉と、
記者会見の様子に私は大変感動いたしました。

この中でも「戦争の無い時代を過ごせた事」
という平成という元号に想いを馳せた下り、
脳内では神々しさと俗の対比ながら
平成最後という機運も重なり、
グッと、さらにグッと来てしまいました。
あのような歴史に残る言葉ではなくとも、
人間は齢を重ねる度に発言、言動には
責任を持たなくてはならないと思う次第です。

丁々発止乗せられて、
つい買い言葉で発言した事が発端となり、
思わぬ方向に物事が動く事や、
強い言動ならではのハラスメントなども
昨今では非常に問題化しております。
言葉というのは個のイメージを創り、
また発言から損なう事も多かれしです。

曖昧で虚言を多く重ねる場で
ついつい先に進みたいと合理的になると、
これらも停滞好きには格好の餌食かも知れず、
舌先を慎み慎重につま先で進む論法が正解。

言葉とは面白くも難しいものです。

2019年も健康でありたいと思うものですが、
自分自身でもありながら、周りの方々、
近しい仲の平穏という事は幸福であります。
生きていれば良い事も不運もありますが、
不幸がつまづいた程の不運で、
ほんの小さなラッキー!と叫ぶ事でも
幸福を噛みしめる喜びと娯しみであれば
山も谷もなだらかな平成であると思います。

近所の赤い通り(右の意では無いのだ)の
有名な寺に相変わらずのお参り。

ゆっくり少年時代からのルーツを辿って歩きました。


こちらは隣の駅の小さな神社ながら、
参列者の数でもわかるように
広範囲に亘る地域の氏神様であります。
遠征をして散歩して祈願の梯子です。

正月ばかりは西洋気質の生活していても
神頼みが似合うわけですが、
自分の力で切り開かなくてはなら無い事が
まだまだあるようです。

さて皆様にとっても
是非素晴らしい一年でありますよう心より祈念。
今年も宜しくお願い申し上げます。

カウンター