惜別の仕方2017/03/05 22:46

大変可愛がって頂いた先生との惜別


その日、数時間後には
周りの方が私に訃報を伝えてくださった事が
とても感謝する事でもあり、
同時に哀しみの始まりでもあるものです。

そんな訃報を知らせる方も
気が重いものだったでしょう。

オペレッタをとても沢山
やらせて頂いた時代には、
バレエダンサーが必要なシーンでは
いつも先生と一緒で、
様々な場面でその都度状況を訊かれ、
私を頼りにしてくださった。
私もまたベテランの判断力を注意深く見て
腑に落とし勉強させて頂いたのです。

アシスタントの時でも、
自分自身が振る時にもその関係は一緒で、
バレエを理解したい私に、
様々な事を教えてくださり、
音楽ばかりか、
オペラ、舞台芸術全てに
愛情と造詣が深い先生でありながら、
子のような世代の私に大変優しくして頂いた。

地方に行けば酒を飲み、
会話も楽しいながら
羽目も外さずダンディーに笑いながら、
昔の舞台の話に耳とグラスを傾けるのでした。

本当に嬉しかったのは2008年。
先生の舞台生活60周年という記念の
リサイタルの指揮者に指名していただき、
1年以上前から構成を聞き、
音楽を語り、舞台を想像する私に、
少年のように毎回語ってくださった事。
若輩の私が悩みながらやっていても、
「徹ちゃんに任したから心配なく」
と意に介さないように気を遣って下さり、
素晴らしい舞台の一端を担わせて下さった事。

その舞台経験は一生忘れない感謝の舞台でしたし、
彼の功績と若さ溢れる斬新な創造性を共にしながら
目の当たりにする事になったのでした。

先駆者というのは
厳しく見られ、とやかく言われ、
愛されもするが敵対もされる。
賑やかしくも心には秘めていて、
冷静な表情の裏側には
炸裂しそうな感情の高揚が
泉のように湧いている者だ。

横井茂先生と私は歳は33離れていますが
誕生日が一緒です。
毎年、いつも笑いながら、
互いにおめでとうを言い合う電話。
そんな事で元気な先生を確認して、
毎回季節外れの元旦気分だったのです。


80代も後半であるならば、
素晴らしい舞台人の人生であったと、
生意気に思ってはいたが、
こんなに近くに久しぶりに近寄ってみたら、
悲しくって仕方がなくなりました。

勝手に
いつまでも元気で笑ってくれると
思っていたから・・・。

名誉教授であらされた先生の素晴らしい功績を
大阪芸術大学が吉岩正晴さんの文章で
コラム上で残してくれています。

凄みのある舞台への情熱が全て読み取れます。

こんなカッコイイ舞台人で
私はいられるのだろうか・・・
訃報を聞いてからずっと考えています。
でもそうでいなくてはいけないと、
そう決めて惜別の会話にしたつもりです。

横井先生安らかに。

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