十字屋ホール譚2016/03/31 16:54

 早いもので年度末日。3月は卒するイベントも多く、区切りや分け目といった節目になるのも年度制の日本ならではですが、春の訪れと共に新しい生活を始めるには最高の季節でもありますね。
 もっとゆったりと3月下旬を味わいたくても、それどころではない方々が殆どではないでしょうか?片付けや引っ越しもそうですが、始めるというのはその前を片付けるという儀式が付いて廻りますね。小生は全くの苦手分野・・・

 だらだらと過ごす音楽家の生活では、年末も年始も無い事も多く、ましてや年度末を感じる事は少ないと思いがちですが、身の回りに様々な区切りがあると、当然同じように感じて参ります。また、私たちは色々な助成などによって成り立っている公演も数多く、これらの元は必ず年度に添って動いて行くものなので、音楽家の生業の基もまた年度の区切りとも思う所です。

 「卒する」のは人であったりする事が多いのですが、この3月に卒する場所に実は私は深く感謝をしています。

 銀座十字屋さんは、あと数年で創業150年を数える、日本の西洋音楽の基盤を支えた歴史を持つ銀座の老舗楽器店であります。現在はハープの楽器と教育も含めた演奏普及を中心に、広く素晴らしい活動を続けておりますが、明治期には築地居留地から起こった東京でのキリスト教の布教を、音楽と楽譜により支えるように始まった会社でもあります。
 子供の頃より銀座界隈を歩き回っていた私は、現在の姿になる前の昔の路面に店舗を構えていた姿も朧げにお記憶しており、ヤマハ、山野と並んで、銀座の音楽の入り口として銀座十字屋を認識していました。様々な人の縁が繋がり、十年少し前に紹介をして頂き、いくつかの公演を持たせて頂いたりしました。その公演が行われていたのが、数十年の長きに亘り、様々な公演企画を催して来た十字屋ホールでした。

 銀座のど真ん中、三丁目の中央通に面した場所に建つビルの9階ですから、眺望もさることながら、70坪に及ぶホール面積の贅沢さや丁寧に選ばれた様々な趣味のよい内装も含め、お客様を特別な時間にお連れするには最高の空間でした。これは出演者にとっても同じ事で、殺風景な借りて来た銀座ブランドではなく、高い空間にあっても、歴史の重みと音楽の歴史を刻んでいらした関係者の自負が感じられるホールでした。
 
 でした・・・。
 と言ったのは、この3月でホールは閉じられることになったからです。

 お知らせを頂いた時には大変驚きましたが、戦争や震災など何度も何度も潜り抜けて来た歴史を思うと、銀座十字屋さんにとって、また一つの転換期が来ているのだと思った次第です。
 数年前まで5年間に亘り、十字屋通信という季刊誌に「銀座と音楽」というコラムを掲載させて頂いておりました。私が駄文を好き勝手に書かせて頂いていた音楽四方山昔話のような頁でしたが、十字屋さんの歴史を書く事も大変多く、明治から大正、戦前戦後と時代ごとに日本の西洋音楽と大衆音楽の移り変わりを改めて学ばせて頂く機会にもなったのです。
 東京生まれにとって銀座は憧れの花の街であり、文化や流行の揺るがない拠点でもあります。その昔でも、銀座を闊歩する方々のファッションや会話は、流行の移し絵でもあり、次の流行りの予言でもあった訳ですし、今でもやはり銀座の価値観は変わらぬ憧れブランドですね。

 コラムを書いたり、公演をさせて頂く中から自分が勉強した事を思うと、十字屋ホールという劇場が奏でた様々なジャンルの音楽は、銀座の街に相応しい人と音楽の交差点であり、欠かすことの出来ない大衆文化でもあったと大変感慨深い思いが致します。そしてこのホールが閉じられる事を思うと大変感傷的な気分になりますが、私以上に想いを強く持ちながらホールを愛していた身近な方々はもっと胸が締め付けられる断腸の想いだと存じてもおります。

 春爛漫という姿は見えないのですが、美しく揺れ動く桜の花にも陰影があり、寒さを凌いで咲き誇っている姿さえ感じられればそれがとても良い事だとも思います。そして花が散ってもまた新緑に恵まれながら少しずつ幹を厚くして、桜とは根強く咲き誇るものだと思ってます。
 
 十字屋ホールさん、本当にお世話になりました。
 心より感謝申し上げます。
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