捨てられない2016/02/01 12:07

 早いですね、如月です。
 重ね着から来た言葉、気候から説、春を待つ説、様々ありますが、寒い季節であり東京はまだしも、北国雪国にとっては極寒の季節であります。受験生がいる我が家、風邪、流感、感染などもってのほかです。アルコール消毒を肝にまで命じて、なるべく在宅しないのが福来る不健全な健康でもありますが、そうもいかないわけです。

 新年には抱負など立てるものです。私は昨年からの抱負継続ということで特に特別ではないのですが、実は掃除がしたい・・・。
 家事一般なので当たり前の事だと怒られそうですが、大掃除ならぬ今時の断捨離的な大片付けをしたいのです。自分ではまだ引越しすら終わっていない感覚で、毎日毎季節毎年をズルズルとしてしまい、忙しさにかまけて引越しの片付けが終わってない事にしています。(8年目・・・)

 元来捨てられない性格は貧乏性か親譲りかわかりませぬが、何物にも心があると思い込んでいますし、娘にもらった(勿論本人は覚えていない)小さな一片の一言の手紙なんて一生の宝物と大事にし過ぎております。挙げ句の果てには、過ぎ行く毎日も捨てられず、夕日を顔に受けながら名残を惜しむロマンチストになってしまいそうです。
 資料としての譜面、書籍、映像、音、日に日に増えるのは目に見えていますが、これらを捨てるのは容易ではないものです。整然と並べた棚板の本の上にはさらに平積み。よく見ればその奥にも入りきらない状態。棚板の軋みは日に0.001mmずつ沈んでまいります。

 それらの資料はあとにして、身近などうしようもないものから捨てて参る決心なのですが、引き出しを開ける度にキラキラ輝いた宝石のようなガラクタを手に取り、頬をすりすりしながら遠い目のロマンチストゴーストが登場します。

 捨てるの無理・・・。

 とは行かないので、毎日足の爪の白いところの伸びた分だけ、すこーしずつすこーしずつ前進するつもりです。

 この写真鍵なのです。引き出しに入っていただけでもこの鍵どうしてこんなにあるのか?。でも理由は簡単なのです。私の数知れない金属製の箱類には、必ず鍵が付いてくる。当然捨てられずに集まってこうなるし、もうすでにどの箱の鍵かわからないのですが、捨てられる筈がないでしょうねこういう鍵類は。

 でも思い切って1つ鍵捨てました。もう10年前に捨てた自転車のチェーン式の鍵。

 先は長い・・・。
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